本研究の目的は、19世紀前期のパリの音楽雑誌に掲載されたピアノ作品の批評を対象に、当時のピアノ愛好家たちに対して作品の価値がどのような観点から示されたかについて調査を行い、ピアノ作品の評価に「芸術音楽」の理念が持ち込まれるプロセスを詳らかにすることである。考察の中心とするのは、楽譜出版者モーリス・シュレザンジェMaurice Schlesingerが刊行していた音楽雑誌、『ルヴュ・エ・ガゼット・ミュジカル・ド・パリRevue Gazette et Musicale de Paris』(1834年創刊、以下『ガゼット』と略記)である。本研究では、『ガゼット』誌のピアノ作品批評を、シュレザンジェの楽譜出版業における販売戦略の一環として読み解き、ピアノ音楽の受容史におけるその位置付けを検討することによって、西洋近代の「芸術音楽」という文化産業の成立の一端を描出することを目指す。 平成21年度は、まず、シュレザンジェ社が楽譜を出版していたフレデリック・ショパンFrederic Chopinの作品を中心に、1830年代のピアノ作品批評の調査を行った。パリで刊行されていた14誌を比較した結果、ショパン作品の批評を掲載した雑誌は3誌であり、なかでも『ガゼット』誌において、「芸術作品」というイメージが強く打ち出されていることが判った。そして、『ガゼット』誌のショパン批評を読解したところ、ショパン作品が、その当時流行していたヴィルトゥオーソ音楽との差異によって価値付けられ、「知識人層が好む音楽」として説明されていることが確認された。そこで、代表的なヴィルトゥオーソ・ピアニストであるアンリ・エルツHenri Herzの作品批評との比較を行った。その結果、両者の作品を評価する際に、「多様性の統一」が基準として持ち出されていることが明らかになった。
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