「新産業都市」に始まる全国総合開発計画と並行した「新文化都市」開発が、地域社会にいかなる構造変動をもたらしたか、その開発手法はいかなる問題を孕み、地域の先人達はいかに乗り越えようとしたか。本研究は、これらの問題を諸社会層の生活史から考察するものである。本年度は、2つの課題に取り組んだ。 1.多摩ニュータウン開発に抗い、計画用地からの「農地除外」に成功した数少ない酪農民の住民運動、及びその運動を支援した専門家集団と開発施工者の分業のなかで提言された「農住都市構想」の盛衰を通じて、戦後資本主義の転換期のニュータウン開発政策と地域社会の構造変容を考察した。地域住民への聞き取り、行政資料、土地利用計画制度分析から、次のことが明らかになった。(1)集落から孤立した酪農家の抵抗を継続可能にしたものは、生産力や歴史的起源に基づく誇りといった酪農民の主体的要因のみならず、オイルショックに伴う用地買収中断、共産党・都職労、専門家、自然保護運動などの支援広がりにあった。(2)1983年、建設省・東京都は、酪農地をニュータウン区域から除外した。施工者はこの運動を支えた専門家集団に調査を委託し、「酪農存続構想」を作成した。だが、この酪農地除外の決定は、中曽根政権下の行政改革の始まりだった。中央政府-鈴木都政-民間企業の連合による「世界都市東京」を目指す構造再編は地価を暴騰させ、施工者は土地収容を再開した。この土地収用は「農住都市」を実現しかけていた連帯を崩す。成果を日本都市社会学会で報告、論文投稿した(査読付、掲載決定、平成22度刊行)。 2.多摩ニュータウン学会において、開発意志決定者のオーラル・ヒストリー調査研究を行った。筆者は、多摩市「最後の地付市長」への調査を企画、聞き取り、編集した。本年度、その成果が中央大学出版会より公刊された。これを踏まえ、学会報告、論文投稿する。
|