昨年度は研究の成果が形になって現れたアウトプットの年であったといえる。まず今年度の初めには、社会教育学会紀要に論文「社会教育団体としての労音」が掲載された。このことは、自身の研究領域が教育と深くかかわっていることを意識化する一助となった。次にマス・コミュニケーション研究にも論文「戦後音楽運動における教養的娯楽の変容」が掲載され、メディア論という自分の足場を固めることにもなった。さらに、労音を調べていくうちに行き当たった浅野翼という人物についても研究を進め、このアイデアをもとにした発表をマス・コミュニケーション学会秋季大会でおこない、年末には論文「プロデュースという思想-浅野翼を中心に-」として、教育学研究科紀要に掲載が決定した。 上記のように本筋の研究のアウトプットをすすめつつも、様々な外部の活動にも参加することができた。それをまた自身の研究にフィードバックするという良いサイクルを作ることができたのもこの1年の収穫であったといえる。 そしてなにより昨年度は、研究課題である公共性を担保する文化的共通基盤として、教養をこえる可能性を持った「キッチュ」という概念に出会えたことが大きい。「いかもの」「俗悪」と訳されるキッチュはしかし、インテリから一般庶民にいたるまで多くの人間が無意識のうちに共感し、そこにあることを似つかわしいと感じる「民衆文化の発気」であり、「歴史におけるはばとあつみ」を有した重要な文化的要素である。この概念はこれまでの自身の研究全てを統合し、さらに公共性研究に一定の進歩をもたらす可能性を十分にはらんでおり、この概念に着目できたことは大きな進展であったといえよう。
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