本研究の目的は、敗戦直後の日本社会において「文化」がどのように考えられ保障されようとしていたのかを明らかにするものである。当初は日本国憲法で唯一「文化」という文言を川いた25条1項「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」を手がかりに考えていたが、平成20年度末に広島大学文書館で調査した25条と結びつきの深い森戸辰男関連資料の分析に先立ち21年度上半期に憲法史や日本史の関連文献を再読した結果、25条を含めた憲法制定および普及と実践の過程全体において「文化」という概念がどのように捉えられていたかを分析する方向へ方針転換をした。あわせて立法者意図を中心に考えていた分析方針を、議論の過程とその後の読まれ方を分析する方向に変更した。上記の方針転換を経て中問報告として研究成果をまとめたのが2010年1月の日本文化政策学会第3回年次研究大会でのポスターセッション「憲法25条「文化」の成立と普及と衰退」である。それを踏まえて下半期は広島大学文書館およびふくやま)庭術館(遺品を収蔵)で森戸辰男の調査を行いつつ、戦後直後の日本で広く言われた「文化国家」概念と平和の結びつきを調査するために、特に平和についての言説が特徴的な広島・長崎の平和祈念施設展示および中国新開・西日本新聞・長崎新聞を閲覧するために現地調査を行った。 方針転換のために21年度の成果発表はポスターセッション1件に留まったが、22年4月現在5月初旬〆切の査読つき論文を執筆中であり、それ以外にも複数の成果発表を予定している。
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