第1に北海道縄文文化・続縄文文化・オホーツク文化・擦文文化諸遺跡から出土する回転式銛頭に関し、それらの新出資料の集成を行った。 第2として、九州・本州の弥生文化遺跡から発見されている回転式銛頭の集成も行った。 以上の集成および、その分析の結果、続縄文文化において知られる「恵山式銛頭」とされる回転式銛頭に関しては、弥生文化の銛頭に、その系統が求められることが明らかとなった。このことは次の点に関し再考を促すこととなった。第1点は、続縄文文化を縄文文化の残存形態、あるいは縄文文化から続縄文文化への変化を静的に理解しようとする考え方があった。しかしながら弥生文化の波及において、北海道側の人々が、主体的、選択的に弥生文化の要素を採用していることが明らかとなった。第2点としては、日本列島上での弥生文化の波及・展開過程に関し、単なる農耕民の移住という視点ばかりでなく、農耕民的漁撈民あるいは漁撈民的農耕民の活動に目を向けるべきであることを明らかにした。
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