研究課題/領域番号 |
10305043
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研究機関 | 名古屋市立大学 |
研究代表者 |
廣川 美子 名古屋市立大学, 芸術工学部, 教授 (40001234)
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研究分担者 |
伊藤 恭行 , 助教授 (80203181)
山下 享子 , 教授 (20023674)
日色 真帆 愛知淑徳大学, 現代社会学部, 助教授 (50222237)
阪口 明弘 (財)日本建築総合試験所, 環境試験室, 研究員 (10215618)
小倉 繁太郎 神戸芸術工学大学, 芸術工学部, 教授 (70214096)
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キーワード | 土壁 / 大阪土 / 京錆土 / 桃山土 / 測色 / 色差 |
研究概要 |
京都で桃山土という赤系の土が採れたと言われる。この土は我々が「幻の桃山土」と呼ぶほど不明な点が多かった。今回聞き取り調査によりこの桃山土について一部が明らかになった。桃山土は深草の記念山で採れたとされる。この記念山の正式な住所は京都市伏見区深草宮谷町9であり、地名の由来は以下のようである。日露戦争の当時、この近くに第38連隊があり、この連隊の忠死者の霊を弔う為の記念碑を北林宗次郎氏(安政2年4月12日生)が今の記念山に建てた。明治39年に忠魂碑除幕式が行なわれたが、この時より誰呼ぶとなくこの地を「記念山」と呼ぶようになった。又、桃山土という土名は、記念山で採取した赤系の土を尾崎良一氏が北川茂氏(砂藤商事三代目社長)にもちこみ、その土が関西よりも関東で好まれる色目の土であったことから、この土に関東の人に覚えてもらい安い名前である桃山土という名前をつけ、北川茂氏が関東の建材店に卸したことによる。重要文化財の伊佐家・澤井家等の壁土が桃山土と言われていることについては今後の調査をまたねばならない。 大阪土というかつて四天王寺近くで採れた土は黄色に赤味が少しある土である。この大阪土は現在京都深草大亀谷で採取している京錆土を示している。桂離宮の昭和の大修理に用いられたのはこの京錆土であるが御殿と茶亭とでは修理の時期が異なり、土の採取時期も異なる。今回は茶亭に用いられた京錆土を保有する左官職の卯田さんの協力により桂離宮の茶亭と同じ材料と配合の壁見本を作製し、以前の桂離宮の茶亭からこそげた土からつくった壁見本との色差を求めた。塗り替え前後で色が異なっており以前の方が黄色味が強いことがわかった。色差は10.0を超えている。
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