私は、本研究テーマに関しては、この一年間に、「アリストテレスの奴隷論 - その正当化の論理と、超克の可能性 -」 (『思想』第893号、44-64頁、1998年11月、岩波書店)と「アリストテレスの『政治学』における市民と国制の概念」(『論叢』第92号 - 聖心女子大学創立50周年記念論文集 - 9-36頁、1999年2月)の二本の論文を執筆した。前者は、ヨーロッパの奴隷制思想を支え、16世紀以来の植民地化運動を理論的に根拠づけ、現代の先進国と発展途上国との関係にまでその影響を及ぼしている、アリストテレスの奴隷論をテーマとし、その理論がどのような構造をしているか、それを超克する可能性はあるか、という問題を考察した。アリストテレスの言う奴隷とは、自分自身の生を律するに足る「実践理性」を充分にもたないため、肉体の力のみによってひたすら他者に奉仕する者のことである。この理論は、人間を「理性的動物」と規定したアリストテレス自身の思想に矛盾する。この矛盾を克服するには、理性の不足のために肉体労働にのみ従事している人々を充分な公教育によって陶冶し、かれらのうちに実践理性を育てあげ、もって、かれらが文化的・政治的生活に参与しうるようにしなければならない。第二の論文は、アリストテレスの市民の概念と国制の概念とを考察した。かれの市民の概念とは、「判決と支配に参与しうる者」という規定によって示されている。この規定は、市民の資格として、出自とか性別とか人種とかを挙げず、ただ、政治的機能を遂行しうる者とのみ説明している。ここに、この規定の革命的な意義があり、後に二〇世紀になって、市民の資格があらゆる人々に拡張される土台となった。国制は、支配形態と利益追求のあり方によって、良い国制と悪い国制とに分けられるが、最善の国制とは、国家の大多数の構成員が市民であり、有徳な人々であるような国制である。
|