研究分担者 |
大橋 一章 早稲田大学, 文学部, 教授 (80120905)
岡内 三眞 早稲田大学, 文学部, 教授 (90093210)
長澤 和俊 就実女子大学, 文学部, 教授 (60083333)
谷川 章雄 早稲田大学, 人間科学部, 教授 (40163620)
田中 良之 九州大学, 文学部, 教授 (50128047)
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研究概要 |
最終年度にあたる今年は、これまで収集したデータの整理,さらにはその分析に主眼をおいた。 当該研究では,基礎データの整備を急務と考え,500分の1の地形測量図と250mグリッドによる墳墓分布図の作成を計画し,昨年度までに全域の分布図をほぼ完成し,追加調査を実施し修正を加えた。地形図・分布図の作成によって,墓域内の分布の偏りや造営の傾向の把握が容易となった。現地で記録した個々の墳墓のデータ(立地,封土の有無,葺き石の有無,既掘・盗掘の有無,墳丘長・幅,墓道の状態,墓道長・幅,墓道方向など)をコンピュータに入力し,デジタルカメラによる画像をあわせてとりこみ、ヤールホト古墳群データベースを作成した。 分布図とデータベースの作成,それに発掘の成果をあわせることでヤールホト古墳群の造営に関していくつかの傾向を把握することができた。当該研究の最初の目標であったデータベースをとりあえず完成させることができたので、この成果をもとにして研究をすすめ、分析から得られた幾つかの傾向を指摘し,当該研究の今後の可能性を示しておこう。 麹氏高昌国時代の墳墓は,各群単位で塋域数と墳墓数の相関関係,塋域開口方向,塋域の造営法などを検討すると,(1)個々の墳墓の構築場所をみると、城南区の北西側ほど塋域内に墳墓がつくられることが多く,南東側ほど塋域外につくられる墳墓の割合が高まる,(2)塋域の開口方向は,ほぼ南東向きか北東向きのどちらかであり、全体の9割近くをしめる,(3)塋域の規模は北西側の方が大きく,南東側ほど規模が小さい,(4)塋域の半分以上が塋域内の全域をみたすことなく造営を終了する,(5)2列以上継続した塋域の6割が、もっとも奥に最大規模の墳墓をもつといった傾向を導き出すことができた。 640年,麹氏高昌国が唐に滅ぼされ安西都護府が設置されて以降の唐・西州時代にも、一定の傾向を読み取ることが可能となった。墓誌の紀年銘をあわせると,唐の支配下となったあとも引き続きおなじ塋域内に墳墓を構築している。墳墓構造の類似とあわせて考えると,唐の勢力によって麹氏高昌国が滅ぼされたあとも統治機構などには大きな変化を被りながら,埋葬方式は従来の伝統を踏襲しつつ,漸次中原風の文化や埋葬習俗を受け入れたことが推察できた。 今後はトルファンの地域的な研究と甘粛省や中国内地との比較研究が必要となろう。
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