研究概要 |
本年度は「ヒポクラテス全集」に収められた70余篇の論文の相対年代の推定と全集の体系化に取りかかったが,医学文献は多くのものが失われ,同時代の医学思想との比較が叶わぬため,この作業は極めて困難に思われた.しかし他方では,エロティアヌス(1世紀の文法家,医家)のヒポクラテス用詔解が多くの文学テクストを引用していることからも窺えるように,医学思想が紀元前5,4世紀の文学者・哲学者の知識の中にかなり入り込んでもいた.そこで,エウリピデスをはじめとする悲劇作家やアリストパネスら喜劇作家の用語を検討すると,単なる病気の比喩のみならず,特殊な医学用語が用いられていることが.明らかになった.例えばischnaino(乾かす,干涸らびさせる)という動詞はヘロドトスのミイラ製造の記述に現れるほか,アイスキュロス,エウリピデス,プラトンにも用いられているが医学用語である.しかし,医学用語が他に転用されたのか,通常の語が医学用語となったのか,あるいは,用語は借りても思想はどの程度まで受け入れられているのか,など更に考察しなければならない問題も多い. クレイクはHippocrates:Places in Man.Oxford 1998を上梓した.解剖学,生理学,病理学,婦人科,等極めて広い範囲を含むこの著作が,医学思想の面からも文体の面からも一貫した著述であること,全集の中では最初期に属することが,全集の他の論文やソクラテス以前哲学者の遺文との比較を通して明らかにされた.
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