イングランドでは、16世紀ごろまで、タウンシップは村に近い実態のコミュニティと領域の単位であり、時に町的な要素を有するものもあった。それが16世紀末の貧民救済法の単位として教区と同様に扱われるようになり、、行政的要素を有するようになった。この概念が英国の植民地展開とともに植民地各地で多様に展開し、さらにその影響は北海道にまで一部が及んだ。 ニューイングランドでは、イングランドにおけるタウンシップの未分化な要素が持ち込まれ、次第に計画的な〓〓の要素が強まり、これより遅れてタウンシップの概念が持ち込まれた中部大西洋岸のペンシルバニアなどでは、ヨークシャーで展開した行政的機能を強く有したタウンシップの展開がみられた。やがて独立後の米国西部では計画的な土地測量、区画の単位としてタウンシップの話が用いられるようになり、カナダや一時期のオーストラリアでもそうであった。 北海道の植民地区画の算定に影響を及ぼしたのは、このうちの独立後の米国西部のそれであった。
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