研究概要 |
戦後の「算数科」の成立は学習指導要領の成立と一体的であるが,この学習指導要領の構想が出されたのは1946年6月であり,学習指導要領作成の責任者に青木誠四郎が任命されたのが同年7月18日であることが明らかにされている.そして,算数科数学科の学習指導要領作成の具体的作業が開始されたのが同年10月であった.奥招氏らの先行研究では,学習指導要領作成をめぐって日本側の担当者とCI&Eとの間でなされた会議の報告書が国立国会図書館憲政資料室所蔵のGHQ/SCAP文書(いわゆる「在米史料」)から見い出され,1946年10月から12月までのConference Reportに基づいて,算数科数学科の学習指導要領作成に係る一連の経緯が明らかにされてきている. 筆者の平成10年度における研究では,上記の先行研究を受けて,1947年1月から3月までのConference Reportに依拠して,算数科数学科の学習指導要領がCI&Eによる最終的承認を受け,印刷に廻される直前までの経緯が明らかにされた.その主な内容は以下の通りである. (1) 1月21日:学習指導要領算数科数学科編の英訳がCI&Eの承認を受けるために提出された. (2) 2月4日:CI&Eは学習指導要領算数科数学科編における教材に関する言葉使い,言い表わし方が,教師が理解するには難しすぎると説明した.そこで,委員会は小学校教師の会議を召集して,日本語原稿を読んでもらい,必要な修正を行なうことを決定した. (3) 2月17日:和田氏は11人の小学校教師から意見を受け取っており,現在修正中であることを報告している. (4) 3月17日:和田氏は,学習指導要領算数科数学科編が,4月16日に,最終的承認のために提出される予定であると説明している.
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