研究概要 |
平成10年度における研究では,1947年1月から3月までのConference Reportに依拠して,算数科数学科の学習指導要領がCI&Eによる最終的承認を受け,印刷に廻される直前までの経緯を明らかにした.続く平成11年度の研究では,この最終的承認を受けた学習指導要領(算数科数学科編)の内容にCI&Eがどの程度の影響を与えたのかを考察するとともに,昭和21年度に使用された暫定算数教科書の成立について考察した. 最終年度である平成12年度の研究では,次のことが明らかになった.昭和22年5月の「算数科・数学科学習指導要領」による算数科・数学科の成立過程の当初においては,「コース・オブ・スタディ」(Course of Study)と「カリキュラム」(Curriculum)という2つの用語が混在し,次第にその意味内容が区分されていった.カリキュラムという用語は戦前の日本にもあったが,コース・オブ・スタディという用語は戦後の教育改革の過程においてCI&Eからもたらされたものであった. わが国の担当官にとって,当初は,この2つの用語の概念的区分けは困難であったが,米国側の諸資料によって,コース・オブ・スタディとは「従来の教科書解説式の教師用書に代わる新式教師用書」であることが次第に明らかになっていった.そして,初めは「学習指導要領」という名称ではなく,「学習指導研究の手引き」と命名されていたのである.
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