西田幾多郎の科学論は、彼が同時代人として際会した西欧における「科学の危機」に対する西田哲学の立場からする応答にほかならない。具体的には、集合論のパラドックスをめぐる数学基礎論論争と観測問題をめぐる量子力学論争を、後期西田哲学の鍵概念である「行為的直観」を基盤にして解釈し直し、ありうべき解決の方途を見いだすことが、彼の科学論上の課題であった. 数学基礎論において、西田はまずラッセルの論理主義を、数学を単なる論理に還元するのは、その根底にある「直観」を無視するものだとして退ける。次にヒルベルトの形式主義にしては、それが公理系を「仮定」と見なすことによって「相対主義」に陥っていることを批判する。西田が批判的距離をとりながらも親近感を寄せるのは、ブラウアーの直観主義である。それゆえ、彼はブラウアーの「基礎的直観」を自已の「行為的直観」に引き寄せて解釈しているが、この議論は必ずしも成功していない。西田の見解は、むしろウィトゲンシュタインの「根源的規約主義」の立場と比較されるべきものであろう。 他方の科学哲学の分野では、物理学が実験的操作を通じて研究対象に働きかける学問であることから、西田の行為的直観の概念が有効に機能する。西田はブリッジマンの操作主義の立場に依拠しながら、「身体的自己の作為を離れて、物理的世界というものはない」と主張し、この観点から量子力学の認識論的意味を探究する。西田によれば、物理学における「因果律」は「歴史的因果」の一形態にほかならない。この歴史的世界の中で自己同一性が保持される単位は「実体」ではなく「形」である。そこから西田はマクスウェルの形態構成の概念を援用して物理現象一般を「形から形へ」という形の変化として捉え直し、「形の存在論」ともいうべき徹底的実証主義の立場へ到達するのである。 なお、研究期問中に『西田哲学選集』全7巻(燈影舎)の紀纂と校訂に携わり、第2巻「科学哲学」に西田の科学論関係の論文を集成して解説を施した。
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