この研究は、もっぱら実用的意義のみが強調されてきたと考えられる「情報」の概念について、その哲学的観点からの意義づけを試みた。たしかに、人工知能や認知科学などの研究は、情報の概念を大幅に利用して、人間の心の解明に努力したが、現在から振り返るならば、その利用は比喩にどとまり、常識的理解の範囲のものであった。すなわち、「情報」の概念についての哲学的分析を欠いていた。また、意識の概念については1990年代にはいって心の哲学の主要課題として検討されてきたが、進化論的発想による説明が主流を占めた結果、大域的、歴史的理解はすすんだが、認識と行為の諸現象における意識の問題が看過された。これらの状況を打破することを目的とした本研究においては、 行為論を展開する具体的テーマとして言語行為を対象とするが、言語行為を情報の流れの概念によって説明することによって、表面上言語行為の集積と考えられる「対話」について、従来の哲学的言語行為論からは説明できなかった事態が、理解可能になった。とくに対話については、実証的データにもとづいて、哲学的深化にとどまらない応用的価値のある考察が可能となる。まだ、この成果はおそらく、現在までの哲学的言語行為論が言語行為を基礎的な概念として捉えること批判するものであり、言語の研究に関する一般的寄与となるであろう。 一方、情報の概念による「意識」の考察によって、機能主義的な心の哲学のなかに意識の概念を適切に位置付けることを可能となった。
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