本年度の研究は、昨年度に引き続き、色彩論をめぐる問題を中心に展開した。その理由は、第一には、意識現象の中心課題と見なされている質(クオリア)現象のなかで、色彩は典型例と見なされているにもかかわらず、その詳しいあり方は不問に付されることが多いからであり、また第二に、ニュートンから始まり、ヤング、ヘルムホルツらによって展開される色覚理論の歴史は色彩現象をめぐって科学的観点と現象学的観点とが交差するあり方を典型的に示すものとも思われるからである。とりわけ興味深いのは、3原色の提唱者へルムホルツと反対色の提唱者へリングの観点の相違である。ヘルムホルツの場合、色彩と波長の対応、及び、因果論的説明という大前提のもとで色彩現象が扱われているため、原色という概念にせよ、網膜の生理学的構造にせよ、理論的に要請されたものであり、そのため、多くの色彩現象は「精神の働き」を導入しなければ説明できなくなっている。それに対して、ヘリングの場合には、あくまで感覚現象の「事実」に即して「原色」という概念が理解され、その現象に対応するものとして生理学的構造に関する仮説が立てられており、その意味で、「意識の生理学」の試みといえる。この両者の対立はしばしば、客観主義と主観主義、あるいは、自然科学と現象学の対立と見なされるが、実際には、むしろ物理学主義と生理学主義という現在まで続いている色彩現象の存在に関する哲学的見解の相違に対応すると考えることもできる。本研究では、こうした対立を越える試みとして、意識の「生態学的現象学」を位置付け、その先駆者としてD・カッツの色彩論を取り上げた。とりわけ、表面色、面色などの色彩の現れ方の区別は、色彩が空間性と不可分なあり方を示すものであり、この点で意識の「世界内存在」の一つの具体例と理解することができること、そしてこの見方がギブソン流の生態学的観点と結び付くことを明らかにした。
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