現代では脳科学の進展を背景にして、意識は自然科学の対象となった、と言われることがあるように、意識はもはや哲学に固有の問題とは見なされなくなっている。実際、脳科学や認知科学、動物行動学などでは、意識についてのさまざまな仮説が提出されている。本研究は、このような状況を前にして、第一に、脳科学などの諸科学が意識を研究対象とする場合にどのような原理的な問題がありうるのかを明らかにし、第二に、意識に関する現象学による分析の成果を生かす方法として「生態学的現象学」の可能性を明らかにした。意識の科学が問題になる場合、一方では、意識現象を脳過程に還元したり、あるいは解消したりする唯物論的・科学主義的立場と、他方では、意識には原理的に科学によって明らかにしえない特徴があると見なす主観主義的・「不可知論的」立場が対立している。そして現象学の見方は後者に属するものと見なされることが多い。それに対して、本研究では、意識のあり方を主体と環境の間の相互行為に見出し、その身体的「世界内存在」という特徴に注目することによって意識概念を主観主義的見方から解放し、他方では、ギブソン流の生態学的観点を取り入れることによって、意識をもっぱら脳との関係で捉える唯物論的見方に代わる観点を確保すること目指した。さらに、この「生態学的現象学」の立場に具体的内容を与えるために、色彩現象を取り上げて、ゲーテとニュートンの対立、ヘルムホルツとヘリングの対立などに見られる科学と現象学の観点の交錯を明らかにし、色彩の「生態学的現象学」の可能性を探った。
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