アトミズにおける生命論の最も深刻な問題点は、魂を構成するアトムにアトム本来の規定を逸脱した、他のアトムを統合する働きが要請されていたことであった。このことはより一般化すれば、アトム同士が結合する「力」の問題である。その根底には、アトムが結合する場合に、なぜアトムが結合して新たな大きなアトムを形成せず独立性を保ちうるのかというアトムの独立性の問題が伏在している。それはアトムの不可分割の本質規定の問題と表裏一体である。アトムの不可分割の理由として、従来、アトムが空虚をうちに含まないことが最大の理由とされていた。しかし、そこから論理的に導出されるのは、アトム同士の結合や衝突は、アトムが独立性を保つ限り、空虚の薄膜が介在する遠隔的な間接的接触になるという帰結である。しかし、その帰結はピロポノスが6世紀にアリストテレスのテキストから可能性として古注で示唆する以外は、古代アトミストたちの文献には見られず、また、古代アトミズムが復活された16世紀以降の西洋の思想家たちにも総じて無視されている。しかも、重要なことに遠隔的な斥力や引力を働かせる働きは、空虚そのものにもアトムの性質にも何ら想定されていないのである。空虚を内部に含まないことに基礎を置くアトムの不可分割性は、アトムに、結合や衝突や反発のあり方をまったく説明できないという重大な欠陥をはらんでいる。それゆえ、ハイゼンベルグが指摘しているように、19世紀までのアトム同士の結合の説明として、アトムにホックや釣り金具がついたような、奇妙な形態のアトムが想像されたのである。古代原子論とそれを歴史的に継承した原子論において、不可分割性というアトムの本質規定が、アトム同士の結合を説明できない原理的な欠陥を内包している。それが生命論として、魂を構成するアトムが他の他のアトムを統合する力を説明できないことのより原理的な問題であることが明らかになった。
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