本年度は、昨年度のブラバンティアのシゲルスの知性論に見られる哲学観に続いて、同時代でパリ大学学芸学部の同僚であったダキアのボエティウスの哲学観を検討した。すなわち、主として『最高善について(De summo bono)』と『世界の永遠性について(De aeternitate mundi)』においてボエティウスが、アリストテレスに典型的に見られる自然理性による<哲学>とキリスト教の信仰との関係をどのように捉えていたかが検討された。その検討の結果、以下の諸点が明らかとなった。 (1)哲学はあくまで人間に自然本性的な理性による営みであると見なされていること。 (2)キリスト教の信仰は「奇跡に依拠するもの」とされ、自然本性の次元を超えたものとされること。 (3)従って、<哲学>とキリスト教の教えとは決して「矛盾するのではない」と見なされていること。このことは、当時ボエティウスに投げかけられたいわゆる「二重真理説」という烙印がその思想の実態を指し示してはいないし、彼の意図とも一致しないことが明らかとなった。 (4)それにもかかわらず、ボエティウスが非難の対象とされたのは、彼の捉える<哲学>がキリスト教の信仰からまったく独立した人間の営みと捉えていたためであること。すなわち、人間の生の全体を覆うキリスト教の立場からは、哲学であってもキリスト教の教えから切り離すことはできないという前提が犯されているとみなされたためであったこと。 以上の成果は、厳密に原典テキストに依拠したものであったが、研究目的からみればいまだ踏査の範囲は狭いものにとどまった。今後はさらに13世紀後半から14世紀にいたる<哲学観>の変遷の吟味が必要である。
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