ヘラクレイトスにおける、いわゆる「対立者の一致」(coincidentia oppositorum)の概念は、これを字義通りに解すると、彼が明らかに「矛盾律」に違反しており、それゆえ不合理な主張をなしているということになる。たとえば、アリストテレスは「彼は自分が一体何を言っているのかを彼自身理解せずにこの見解を述べていたのである」と語り、ヘラクレイトスの思想の合理的・整合的な説明を放棄している。そこで、この不合理性からヘラクレイトスを救うために、「対立者の一致」をむしろ緩やかに解して、それを、絶対的な「一致」ではなく、対立者の何らかの関連性・連続性とするべきであるとする有力な解釈が出てくる。一見「合理的」なこの解釈は、しかし、ヘラクレイトスの思想の特殊性を必要以上に論理の犠牲とし、結局陳腐化し、その独自性を軽視するものとなる。 ヘラクレイトスの著作に直接触れることができ、彼の「対立者の一致」に関わる著作断片の引用を数多く残している3世紀前半の教父ヒッポリュトスは、その著書『全異端派論駁』(IX8-10)で、異端派のノエトスを論駁する中で、対立者の、相対的ではなく絶対的な一致をヘラクレイトスが語っていると理解している。そして、その理解はその限りで誤ってはいない。ヘラクレイトスが弓と竪琴を例に挙げて言及する「逆向きに働き合う調和」は、諸々の力や性質が、自らと相反するものと不断にせめぎ合い対立し合いながら同時的に達成している「見えざる調和」、動的な同一性を示している。それは決して対立者の相対的な一致ではなく、あくまでも絶対的な一致である。そして、矛盾律に違反するこのようなパラドクシカルなあり方こそが、ヘラクレイトスにとって世界の正義あるあり方に他ならない。
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