古代奴隷制社会から中世封建制社会への転換か、あるいは中世貴族制社会から近世絶対主義王制社会への転換か、論者によって見解は必ずしも一致を見ていないとはいえ、唐代後半から北宋初期にかけての時代を、一つの社会体制が別の一つの社会体制へと転換する転換期とみる考え方は大方の認めるところである。支配層の出身母体の変質、収税体制の転換などの歴史的側面、古文運動の勃興と浸透などの文学的側面、宋代儒学抬頭を予告する儒学復興運動などの思想的側面、いずれもそれを証するとされている。本研究はこうした従来の見解を再検討し、それを思想分野の諸事象を具体的に考察することで、従来の見解の妥当性の範囲を限定し、また具体的事実によってその肉付けを図ろうとするものである。即ち当時の支配層が抱く世界観について、それを天人論と人性論の方面から再検討して、それらが、唐代を広くおおう三教交流の思潮を土台とし、その枠内にとどまるものであり、必ずしも世界観の一大転換をもたらすものだとは認めにくいことを確認した上で、更に唐末陸希聲の『道徳真経伝』を考察して、その書物が老子の所説が伏羲、文王、孔子という儒家の三聖人すべての思想を包含するもので儒家思想と決して矛盾対立するものではないことを強調しつつ、実は、五経や徳に四書と意識される礼記諸篇や論語孟子などを拠りどころにして『道徳経』を儒家的思想で理解しなおそうとするもので、そこに儒家復興運動の実質的な影響を認めることができるが、同時にそこで主張される復帰復性の主張は本来老荘にもとづくものであり、また体用理事の論理は本来仏教教理学によって生み出されたものであって、これは単純に儒教復興とみなすのは妥当ではなく、儒仏道三教の絡み合いの中で道仏の思想や論理を換骨奪胎して儒学がその地位を奪取を目指したものと見るべきであろう。次に撰者不詳の『元気論』を考察して、それが『道徳経』の所説を拠り所に、不老長生という神仙養生の思想を理論化したものであるが、論中道教の神仙房中に関わる書物を頻繁に引用するだけではなく、中庸や楽記その他の儒家経典を頻に援用し、また、心怡論において仏教の心識論をも自家薬籠中のものとしていることも注意され、要するに儒仏道三思想交流を土台に形成された理論であることが確かめられる。以上の考察により、唐代後半から北宋初に至る思想界の実情は、全体としてみれば唐初以来の三教交流的思潮の枠内にあって、そこに教的な世界観の転換といった状況の発生を認めることは困難であるが、同時に、唐末になると『道徳経』を儒家の所説で読みかえようとしたり、不老神仙術の理論に儒家典籍を主要な論拠として組み込んだりとする所謂北宋の儒学復興に連続していく情況も確かに存在していたことが確認される。転換期においても実質的な思想の変質は漸次的であると知られる。
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