本研究では、清末・民国期にナショナル・アイデンティティ形成がなされるにあたって、家という私的空間内から外の公共空間へ露出しだした女性が「内」なる他物として発見されてゆくことで、男性もあらためて自己規定していったという過程へのジェンダー論的分析を国民国家論にくみこもうとする。具体的には1.譚嗣同の場合、2.梁啓超の場合、3.日本経由で入り、五四期新文化期には周建人や播光旦らの紹介でひろまった優生思想、4.纏足反対運動の問題をとりあげ、以下のように分析した。 19世紀末から中国は列強から侵略されるようになり、それへの危機意識ゆえに一層、その民族アイデンティティの形成は優勝劣敗を説く社会進化論の影響が強くなった。植民地主義は「退化」したり「病を患って」未開野蛮な状態にある人種・民族の文明化・救済を常に口実とし、それで侵略を正当化した。すると植民される側の知識人にしても、他者あってこそアイデンティティが立つわけで、その他者の正反両面での影響をとうしても回避できない。女性は清末から民国にかけて国民に組み込まれていくことになるが、女性解放運動そのものも、「国民の母」つまりは「強種」の生殖者として認知されるようになる。社会進化論の延長から受容されるようになった優生思想の影響が濃厚となり、五四で追求された「恋愛神聖」も優生学的結婚と結びつけられた。また、そうした運動を立ち上げたのはまず男性変革者で、理解しがたい異教徒の野蛮な習俗として蔑む、西洋のまなざしが投影され、肉体的な変形加工を千年以上にわたる風俗、ファッションととして受け入れられていた女性の纏足を「国恥」として女性に精神的外傷をも与えることにもなった。放足・天足こそは、学校教育とともに、女性を「国民の母」として認知し、
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