研究概要 |
本研究の中心をなすクマーリラにおける背理法による論証(arthapatti)の機能についての研究成果のみを要約する。クマーリラがarthapattiとanumanaとの相違を検討する際に実例とした「外出想定のarthapatti」において,「チャイトラは生きているのに家にいない」という外出想定の状況に「チャイトラは生きているときには家の中か家の外にいる」という前提を加えることによって,そこから「チャイトラは家の外にいる」という帰結を演繹的に導出することができる。その際には,チャイトラ以外の人物について家の中にいるか外にいるかを検討する必要はない。外遍充論の立場であれ内遍充論の立場であれ,いずれのanumanaも「基体xに或る属性Pがあれば,xには別の属性Qがある」という,基体となる個体一つと二つの属性との相関関係を個体領域において普遍化することにより,述語論理のような量化を伴う論理体系のなかで論証をおこなう。これに対し「外出想定のarthapatti」は全称量化子による全称肯定文を必要とせず,チャイトラ一人を主語とした命題だけを用いて命題論理の範囲内で論証しようとするものである。したがって,クマーリラがarthapattiをanumanaとは別種の独立の知識根拠としたのは,論理学的にみて正当だと言えよう。またクマーリラは,シャバラが引用するVrttikaraによる分類を継承してarthapattiを「観察からの必然的帰結」(drstarthapatti)と「伝聞からの必然的帰結」(srutarthapatti)の二種に大別した。更に彼は,srutarthapattiは「知識手段を把捉するもの」(pramanagrahini)であるとし,この点でそれは「事柄」(artha)を認識対象とするdrstarthapattiから区別されるとする。クマーリラはsrutarthapattiが新たな「事柄」ではなく,新たな事柄を言明する知識手段としての「言葉」を知らしめるものであることを詳論しており,この区別は彼の晩年の著作Brhattikaに至るまで一貫している。
|