本研究の目的は、大乗仏教中観学派の創始者であるナーガールジュナ(龍樹)の主著「中論頌」の現在望みうる最善の英訳を完成・公表することと、同書やその他の龍樹の著作に見られる極めて破壊的な議論を論理学的に再評価することにある。 前者に関しては、既に第24章と第26章の英訳を公表しているが、その他の章についても既に完成した英訳について、ナーガールジュナ研究者によるネイティブ・チェックを受けている段階であり、来年度以降も引き続き英訳を公刊していく予定である。後者に関しては、ナーガールジュナの論法の本質が、先行するアビダルマの論師たちがら受け継いだ「四句分別」と呼ばれる〈枚挙法〉と、おそらく彼自身の創案である〈帰謬法〉(プラサンガ)からなることが明らかになった。彼の議論の実際には、言葉の多義性を意図的に利用した一種のEquivocation(多義の虚偽)がしばしば見いだされるが、それは『ニヤーヤ・スートラ』などに記録されるインドの討論術の伝統では容易に合理化されうることも明らかになった。医学書『チャラカ・サンヒター』が記録する医者達の間の討論の作法によれば、敵対的な対論者に対してはいかなる手段を用いても勝利することが正当化されるからである。この詳細は昨年度刊行した『インド人の論理学』(中央公論社)の第四章で明らかにしたが、来年度はさらに、八月ローザンヌで開催される「国際仏教学会」、もしくは、十月ワルシャワで開催される「国際サンスクリット学会」でそのエッセンスを発表し、他の研究者の批判を受けるとともに、従来のナーガールジュナの論法にたいする誤解を正す一石を投じるつもりである。
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