当初の計画では、(1)セバスティアン・フランク、(2)レッシング、(3)フェヒナー、(4)トレルチ、(5)プロセス思想家、(6)西田幾多郎に光を当てて、「万有在神論(Panentheismus)」の概念について比較思想的に研究する予定であったが、三年間で結論を得るには元々の計画に少し無理があった。 しかし(1)、(2)、(4)については踏み込んだ研究を遂行し、また当初の計画に含めていなかったK.C.F.クラウゼについても研究を行なった。研究成果は、「日本ルター学会」(平成12年9月)と「京都ヘーゲル讀書會」(平成13年1月)で口頭発表すると同時に、二篇の雑誌論文を執筆した。また研究成果をうちに含む二冊の書物を公刊した。 「万有在神論」の概念は、クラウゼによって造語されたものであり、彼自身は"Panentheismus"という言い方以外に、"Allingottlehre"という用語も用いている。この概念は、「有神論」(Theismus)と「汎神論」(Pantheismus)の真理契機をともに生かそうとする意図で生み出されたものであるが、もともと汎神論との区別はかなり微妙であり、そこにこの概念で言い表される事態を主張しようとする思想家たちが、伝統的有神論の側から、つねに汎神論の嫌疑をかけられてきた所以がある。だが英国の神学者マッコーリーは、キリスト教神学の立場から「万有在神論」の現代的妥当性を擁護し、これを「弁証法的有神論」(dialectical theism)と言い換えて、その神学的可能性を論究している。 筆者はマッコーリーと異なった独自の視点から研究し、以下のような結論に導かれつつある。少なくとも(1)、(2)、(4)の基本的立場は、西洋的・キリスト教的伝統に棹さした「万有在神論」であり、これを筆者は"Pantaentheismus"と名づけるが、「万有在神論」をめぐる一番深刻な相違は、これらと(6)のそれとの間に存すると。
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