本研究は、「万有在神論」(Panentheismus)について検討し、その思想的特質を剔抉することを目指した。当初の計画では、(1)セバスティアン・フランク、(2)レッシング、(3)フェヒナー、(4)トレルチ、(5)プロセス思想家、(6)西田幾多郎を取り上げる予定であったが、三年間で纏まった結論を得るには無理があることがわかったので、(1)、(2)、(4)を重点的に研究し、また新たにK.C.F.クラウゼを加えることにした。 本研究によって明らかになったことは、(1)この用語がクラウゼによって1828年に造語されたものであること、(2)この概念は神の世界超越性と世界の神内在性を同時に主張しようとしており、したがって汎神論とは一線を画すものであること、(3)クラウゼ自身は"Panentheismus"以外に、"Allingottlehre"という用語も用いていること、(4)「万有在神論」は、ユダヤ・キリスト教的超越神論とストア主義的汎神論(あるいはスピノザ主義的内在論)を総合するような立場を目指していること、(5)しかし汎神論との区別はもとよりきわめて微妙であり、この立場は有神論の側からつねに汎神論の嫌疑をかけられてきたこと、などである。 しかし「万有在神論」のモチーフは新約聖書の中にも見出され、また神秘主義やスピリチュアリスムスの系譜にもその方向性を示唆するものが少なくない。その一例をなすフランクの立場はしばしば汎神論と見なされているが、本研究によればむしろ「万有在神論」として捉えられるべきである。レッシシングの立場は"Panta-en-theismus"と名づけうるような独自の特質を備えている。トレルチの神概念は「万有在神論」の方向を示唆しているが、未だ概念的明晰さを欠いている。「万有在神論」の現代的妥当性を擁護するマッコーリーは、それに代えて「弁証法的有神論」(dialectical theism)という用語を提案している。今後の課題は、キリスト教的な「万有在神論」と東洋的なそれとの間の思想的相違を究明することである。
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