修験道の地域的展開の調査研究は、これ迄ともすれば地方の里修験の研究に焦点が置かれてきた。その為に、中央の宗教史全体の動きや熊野・金峰などの中央の修験霊山、李山派の聖護院、当山派の醍醐三宝院などの総本山と地方修験との関係の究明がおろそかになりがちであった。李調査研究では、こうしたこれまでの調査研究の欠を補うことを考えて、吉野金峰山、京都の聖護院の文書の調査研究を行なった。まず金峰山に関しては金峯山寺、東南院、菩蔵院、桜本院、竹林院の修験寺院の文書や扁額などの民俗資料の調査を行なった。また併せてこれら諸寺院所属の講社についても調査した。旧本山派の総本山聖護院に関しては、補任留や北方修験の書き上げ類を調査した。また旧当山派の醍醐三宝院に関しても近世紀の補任留や地方修験の書き上げ類を調査した。また名古屋の真福寺所蔵の中世修験文書、東北大学狩野文庫所蔵の本山派若王子配下の修験に詳しい北海道教育大学釧路分校の追塩教授を訪ねて情報の交換行った。地方における修験については本山派の影響の強い、長野と関東、当山派修験が勢力を有した浜松と秋田、遊行的な修験の活動が認められる沖縄について調査した。これらの調査研究は宮家の“修験道組織の研究"春秋社にまとめたが、次年度はこれらの収集資料の整理を行ない発表することを予定している。
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