研究課題/領域番号 |
10610033
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研究機関 | 山口大学 |
研究代表者 |
豊澤 一 山口大学, 人文学部, 助教授 (10155591)
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研究分担者 |
木村 武史 山口大学, 人文学部, 講師 (00294611)
柏木 寧子 山口大学, 人文学部, 講師 (00263624)
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キーワード | 聖と俗 / 浄と穢 / 聖地 / 聖なる山 / 高野山 / 景観 / 聖なる心 |
研究概要 |
本年度は、各共同研究者が自らの分担テーマを引き続き追究し、その成果を相互理解の場に供するとともに、高野山の実地調査を行い、「聖なるもの」としての空間をめぐる思想史的・宗教学的・倫理学的なアプローチの実践を試みた。以下は個別的な研究経過である。 豊澤は、引き続き、ザビエル滞日当時の討論を検討した結果、当時の日本人が「霊魂」に特別な重きを置いていなかったことが窺われた。それは、「心」の仏教的浄化こそが望まれていて、個の霊魂は浄化以前と考えられたからであろう。次いで、近世初期の儒家神道(羅山・闇斎)を調査したところ、周知のように「心は神明の舎」と捉えられていた。この、いわば「聖なる心」の意味あいがどのようであるかを、さらに中世神道からの流れのなかで探究するという課題が残った。 柏木は、寺社縁起や説経をもとに、古代・中世の神仏習合思想を検討した。神仏という聖なるものが、その本来のありようを十全に現わし、祀られるためには、一旦は俗なるものの間に流離・苦難の過程を経なければならなかった。流離・苦難の物語を契機として成り立つ神仏の特質について、追究を深めることが今後の課題である。 木村は、聖なる山としての高野山の構造について考察するために、現地調査を行った。現地調査と歴史における聖なる山としての高野山についての研究から、平安時代には高野山は、死後の世界の浄土であるという意味で、聖なる山として見られていたが、鎌倉時代から曼陀羅との関係で空間的に聖なる山として理解されるようになってきたという変遷が明らかになった。また、古図から高野山が視覚的に表現される時にいかに特徴付けられ、それがいかに変遷したかが明らかになった。
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