近世後期、国学史のなかで、平田篤胤の神話解釈は、宣長的な古事記注釈をはなれ、日本書紀に向かうとともに、その日本書紀テキストそのものを、ありうべき神話に改釈してゆく。この研究の対象となる神話解釈は、この通説を一応自明の前提として、さらにその解釈の内実に考察を加えるものだが、成果をふまえ、それの付け加える視点を示しておきたい。 それは江戸後期の、以上のような国学思想の流れとは、従来必ずしも結びつけられてこなかった事柄である。一つは、1800年代以降、近代にまでつらなるいくつかの新興宗教がおこるが、それらが、所謂記紀神話とは様相の異なる神話を背景に生じてくるということである。たとえば、天理教もその一つである。天理教の神話は、明治に入ってからの政治圧迫のなかで改変を強いられてものと、その元初的な形態とはなお精査が必要であるが、たとえば泥の海のなかで、魚のかたちをとった神たちから、人間の生が始まったとする点など、記紀神話ときわめて異質な様相をもつ。この多神的神話と天理王という一神との関係など、考察されるべき事は多い。問題は、こうした新興宗教の神話創成と、国学の流れの中で起こってきた、神話の解釈とは、深いところで連関があるだろうということである。その点では、この研究はなお完結しないが、さらに深化させる必要があろう。 また、第二に、江戸後期の、たとえば、『八犬伝』など作品など、その構想力の大きさとともに、その物語が含む神話的始源の問題なども、上記に後期神話解釈との連関を考察されるべきだと考える。以上は、本研究の中で、あらためてその所在に気づかされた問題である。それらは、報告書とは別に近々に、別の形であらわすこととする。
|