この研究は、先行論文「『故郷』概念の価値論的方位」(佐々木健一編『美と藝術の価値論的基礎付け』平成7年度)を発展させたもので、以前は、尋常小學唱歌で登場する《故郷》の代表的小學校唱歌集中に於ける位置が探られ、その見かけ上の抒情性が卓抜なる政治的意図を持っていることが明らかにされた訳だが、この度はこうした故郷が具体的実感として感じられる年頃になる中等学校レヴェルの音楽でいかに取り扱われているのかが京都教育大学図書館で発見・収集した唱歌教科書31冊、全721曲の歌詞で探られた。 先ず明治以降の文部省の教育令との対応関係からこれらが時系列的体系性を持っていることを確かめ、更に、既に調査済みの小学校唱歌集と、歌詞に用いられている動詞の時間的形態に関する比較分析を行い、小学校レヴェルでは、ひたすら前に前進する近代的時間が強調され、しかもそれは皇國つまり天皇と国家のためであることが十二分に歌われているのに対して、中等学校レヴェルでは、時間はゆったり流れており、生きている現在の楽しさがかなりの程度表現されているといった性格比較を行った上で、故郷への関係の直接性の点から絞り込み、一覧表にまとめ、そこに、明治期には関心は故郷ではなく我が家であったこと、しかも今そこにいることが大きな喜びをもって歌われていたこと、そしてやがてそこに帰ること、帰郷が主題になり始め、それにつれ我が家の具体性が失われて行き、抽象化が見られるようになり、それに伴って田舎の自然が郷土として前面に出て来て郷愁が表現されるようになること、しかし、当初の郷愁は純粋な懐古であり、立身出世といった要素が皆無であるのに、昭和初期になると、こうした故郷の在り方は一変し、故郷は立身出世のために去るべきところになり、功なり名を挙げ、錦を飾れるようになる迄は、うっかり帰りたくとも帰れず、従って異郷で夢見られるところとなってしまうプロセスを見い出した。
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