本年度はとりわけハイデガーのニーチェ解釈における美学上の問題を整理し、分析することに重点をおいた。つまり伝統的に考えられた美学や芸術理論の枠組みそのものを問うハイデガーの立場は、広い意味での形而上学批判の文脈において捉えられるといえようが、その際かれの思想を解釈するにあたってもっとも重要だと考えたのは、「真理」概念をどのように規定し、美や芸術との連関をどのように考えるかという点である。ハイデガーは真理を、開示性と隠蔽性との相互関係から捉え、そこに古代ギリシア語のアレーテイアという概念に保持された真理経験を見いだそうとする。本研究は、まさにそのような真理概念の証となるのが芸術経験であり、美の問題であることを、ハイデガーのニーチェ解釈のうちに探ろうと試みた。とくに美にかんしては、ニーチェに先立つ、カント、ショーペンハウアーの理論をも検討し、西欧思想の歴史において、ニーチェやハイデガーにいたるまで、どのような解釈学的変容を経てきたのかを明らかにしようと努めた。こうした研究の成果は「ハイデガーと美への問い」(「美学」193号)という論文において公表することができた。また、芸術にかんしては、ハイデガーのニーチェ解釈の射程を明らかにすると同時に、別の解釈の可能性を探るために、オイゲン・フィンクの論考を検討した。フィンクの、とくに芸術の「遊戯性」をめぐる思想は、ニーチェの豊かな思想的可能性を示唆するものであり、同時にハイデガーによるニーチェ像とは別のパースペクティヴを提供してくれるものでもある。こうした点に注目し、ハイデガーの芸術理解の中心にある「放下」という概念とニーチェの「遊戯」とを鋭く対照させるという試みをおこなった。これも別の論文において公表する予定であり、今後の研究の方向性もそうした試みにある。
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