この研究の目的は、明治期日本において美学と芸術研究が置かれていた状況をふりかえることで、現在あるいは今後の美学のあるべき姿を探ろうとする点にある。 具体的には、日本で美学の研究が本格化するまで、つまり1870年頃からの西周らによるヨーロッパ美学の導入の始まりから、1900年の大塚保治の帰国(東京帝国大学美学講座の初代教授に就任)までに時期を限定して調査と調査結果の分析を行い、そうすることで、現在にまで規制力を保持している我が国の美学の制度的枠組みが成立したさいのその社会的背景に迫ることを本研究はめざした。 6本の論文を掲載した報告書が示すように、当初の目的は、ほぼ達成されたと言ってもいいだろう。与えられた研究期間中に、西周、フェノロサ、大塚保治らを中心にして、テキストやその背後の社会情勢が分析され、さらには、ドイツに代表されるヨーロッパ諸国の状況との比較考察などが加えられた。知識社会学的な観点を導入することで、この研究では、広く世界各地の知識人たちに共有されていたある種の新古典主義的な芸術観の色彩を強く帯びていた当時の「美学」を自明視せずできるだけ相対化し、そのような主張を生み出す社会的コンテクストのなかでとらえることができたと思う。 もちろん、反省点は多い。比較すべきジャンルや地域の点で、当初の予定より視野が狭いものになってしまったこと、また、記述が東京大学を中心とするいわゆるアカデミックな美学の流れへの考察に偏ってしまったことも残念だ。現代における美学や芸術研究との連関を強調することなどとともに、これらは今後のわたしの課題となるだろう。
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