「花環の聖母子」は、画面中央に聖母子を描き、その周囲に花環を配した特殊な図像である。記録から、その図像を考案したのが、ミラノの枢機卿フェデリーコ・ボロメーオであることが確認できる。その1608年に制作された最初の作品では、花環をヤン・ブリューゲル(父)が、聖母子をヘンドリック・ファン・バーレンが描いた。聖母子像は、カトリック教徒にとってきわめて重要な礼拝のためのイメージであるが、ボロメーオの残した文書からは、彼の関心は、もっぱらヤンによる花の精緻な描写に向けられており、聖母子には副次的な地位しか与えられていなかったことが知られる。「花環の聖母子」は、17世紀フランドルにおける花の静物画の流行と密接に結びついて生まれた図像であったのである。しかしながら、聖母子を描く画家たちは、決して、従属的な位置に甘んじていたわけではなく、彼らの技量を示すためにさまざまな工夫を凝らした。つまり、「花環の聖母子」は、花の画家と人物画家の格好の腕比べの場を提供する芸術的にきわめて重要な図像となったわけである。本研究においては、主として、こうした画家たちの技比べという観点から、ヤンとルーベンスによる「花環の聖母子」を考察した。加えて、絵画のイリュージョン効果に対するルーベンスの深い関心を、古代およびルネサンス美術の伝統との関連から検討した。また、江戸時代に我が国に輸入されたファン・ロイエンによる花の静物画に対する日本人たちの反応を、西洋の詩人による花の静物画を讃える詩句と比較して、静物画の迫真的な描写に対する賛辞のパターンを探った。
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