本年度は、昨年度に行った大阪の有力二紙『大阪毎日新聞』と『大阪朝日新聞』に関する予備調査をふまえ、明治36年から40年までを対象として、上記の大阪二紙および東京二紙『時事新報』および『萬朝報』の調査を行った。まず概容を把握するため、『大阪毎日』の広告件数を調べたところ、日露戦争前の明治36年は合計約31000件、月平均で約2590件だったが、戦争後の明治40年には合計約37800件、月平均で3150件と約二割増加しているのが明らかとなった。これは日露戦争を期に広告が発展したという通説と合致する。また、月別では一年のうち一月が最も広告件数が多いのが確認されたので、明治36年から40年まで五年間の一月分の広告データを調書対象に絞ることにした。 予定の調査のうち、調査が終了してない箇所があるが、現在のところ、次のような知見が得られた。大阪の二紙は、毎年およそ2700-2900件の広告件数を記録し、戦争後には三千件を越えたのに対し、東京の二紙は、約二千件ほどで大阪に比べ件数が少ない。大阪の二紙では、大阪の広告主がほぼ七割以上を占め、東京の二紙では、東京の広告主がやはり七割以上を占めた。また、火事見舞い、年賀の挨拶、移転広告など個人名の広告も多く、地域紙としての性格を持っていた。業種別では、件数が多いのは通説のとおり薬・書籍で、両都市とも同じ傾向である。現在、データの補足修正を行う整備作業中であるが、最終年度にあたり、さらに分析中の事項を加え報告書にまとめ提出する予定である。
|