ブラジルからの日系人のデカセギが大量化して10余年が経過した。日系ブラジル人が集住する地域では、日本人とブラジル人の棲み分けが顕著である。棲み分けが生じた社会的背景として、第一に、日本の企業は業務請負会社をとおして日系ブラジル人をフレキシブルな労働力として組み込むが、そこでは職場、住居、生活全般におけるインフラを整備している。したがって、特定アパートへブラジル人が居住するという形態が生じる。第二に、ブラジル人の増加により、エスニック・ビジネスが集積され、ブラジル人ネットワークだけで生活することができる状況ができたことが挙げられる。日本人住民との関係は、ブラジル人のいる光景が見慣れたというだけで、概して希薄であるが、ブラジル人が多数居住する団地では、ゴミ出し、騒音など生活上のトラブルに代表される文化摩擦が生じている。日系ブラジル人は、日本にルーツをもつにもかかわらず、文化的摩擦が頻発しているのは、初期の一世や日本的な二世から、ブラジル文化の内面化の度合いが高い二世・三世にその主体が移行したこと、日本社会の差別と偏見にあって、日系人というよりブラジル人意識を高揚させたこと、デカセギ期間は現実には長期化しているものの、彼らの意識として、帰国の意志をもつ一時的デカセギ者としての行動であることが挙げられる。当然のことながら、言語の壁も存在している。こうして、彼らの多くは地域社会に参加することなく、「顔の見えない」存在として居住し、可視化するにつれ、問題状況として浮かび上がる。 職場と住居との往復、余暇の同国人同士での交流により、行政のイベントと方式の交流の機会や、対応にもかかわらず、日本人とは自然な交流はうまれにくい。しかし、ボランティア団体や、宗教団体、学校に通う子供をとおしての関係など、一部では日本人とのかかわりの芽がみられる。
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