本研究の課題は、戦後日本経済の発展を支えたわが国重工業における現場技術者と現場監督者の役割・機能ならびに両者の分業・協業が1950年代から80年代にかけて、どのように変化してきたかを明らかにすることにある。この課題を果たすため、本年度は、高度経済成長期の始期から強力な国際競争力を発揮した造船業に焦点をあて、その競争力がいかなる生産管理システムの形成・展開によって可能となったのか、またそれと相補的関係にある労働システムの変化について技術者・現場監督者の分業関係のあり方に注意しながら、検討を進めた。具体的には、NBC呉ならびに播磨造船(1960年の企業合併後は石川島播磨重工相生造船所)における生産システムの展開と企業内分業の変化について、関係者から聞き取り調査をおこなった。この結果、明らかになった点は、次にある。第1に、従来、戦後の造船産業の飛躍的発展を可能としたのは、溶接工法の採用によるブロック建造法であると指摘されていたが、生産システムの展開により重要な役割を果たしたのは、旧呉海軍工廠で考案され、NBC呉ではじめて商船建造に適用された生産設計=工作図の導入と、それに基づく作業の再編成であったこと。第2に、生産設計の導入によって、従来の労働システムが根底から変わり、作業の指揮権が年功的熟練にもとづく職長から現場技術者に移ったこと。第3に、そうした事態も、60年代中葉に生産設計の導入にもとづく作業の標準の推進を背景として、多能工化が進展し、多職種から構成される作業組織が現場監督者の改革をともないながら導入されたこと。これによって、日々の作業管理について現場技術者から現場監督者に多くの機能が移ったこと。造船業は、個別受注生産に大量生産の手法を適用することで国際競争力を高め、それを支えたのが現場技術者と現場監督者の分業の変化にみられる労働システムの再編成であった。
|