本研究が目指したところは、阪神大震災被災地によって大きな被害を受けた地域社会の復興にあたり、宗教が何らか寄与をなすことができたのかどうかを実証的に検証することであった。これまで得られた知見を以下に述べるなら、リジッドな組織を伴う仏教・神道・キリスト教・新宗教、すなわち教団が被災した地域社会の復興に貢献することはかなり難しい、ということがまず一つである。教団が働きかけることのできる対象は信者とその周辺に限られ、さらにその働きの内容は個々の「心の救い」以上のものではないようだからである。 とはいえ、地域の復興という課題に宗教がまったく無力であるというわけではない。住民主体の(教団中枢の主導ではどない)民俗宗教レベルにおいてこの課題への貢献がなされていることを、本研究は確認している。「祭り」という民俗宗教の装置を川いて地域住民の結束をつくりあげようとの企てが、被災地では繰り返し実行されているのである。祭りが集団の統合を促す機能を持つとは、我々にも経験的に理解できるところのはずである。 民衆主体の(習俗の一環と認識されている)民俗宗教は地域住民を連帯ならしめ、組織的な教団宗教は専ら限定的な心の救いを供給する、と二種の宗教の間で分業が行われていると見ることができそうである。ただ前者についていえば、祭りの第一の目標が人々の動員とされているがゆえに、祭りはその本質たる聖性を希薄化させ、その結果に単なるイベントへと変容しつつあるように思われる。となれば、世俗化した祭り(=まつり)が地域社会の連帯をつくりあげる力を発揮し続けることができるのか、懸念せざるをえない。 なお上記研究と並行して、被災地の小中学校で発行された犠牲者を悼む文集を収集し、そこから子どもたちの死に対する観念の変化を読み取ろうとする作業が進行中であることを付言しておく。
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