本研究は、ウェスタン・インパクトにより開始されたアジア諸国の近代化過程において、大学がいかにして設立(移植)されたかを比較大学史の観点から明らかにすることを目的とした。そこで、アジア各国の大学史を検討すると同時に、アシュビーの研究に依拠しながら、全世界的な大学モデルの伝播パターンのなかにアジアの大学のそれを位置づける作業を試みた。それは、大学モデルの類型の析出と大学モデルの伝播メカニズムの解明の両面から行なわれた。 大学モデルはすべて中性大学にさかのぼるが、アジアの大学に影響を与えたいわゆる近代大学モデルは、(1)エリート主義的なイギリスモデル、(2)研究機能重視のドイツモデル、(3)大衆のための大学教育と高度専門人材養成の大学院を兼ね備えたアメリカモデル、に大別できる。これらの大学モデルは、四つの移植(伝播)パターンによって、さまざまなバリエーションが生じた。第一は15世紀に中世大学モデルがヨーロッパ各地に波及したパターン、第二はイギリスモデルが16〜17世紀に新大陸(アメリカ)に渡ったパターン、第三は19世紀にアジア諸国を含む非キリスト教社会に大学が伝播したパターン、第四は20世紀後半における大学の世界化傾向のなかで起こっている現象である。 19世紀末から20世紀前半のアジアの大学は、その多くが西洋諸国の植民地下において設立されたため、(1)〜(3)のモデルのいずれかの影響を強く受けて設立されてきた。一方、20世紀後半におけるアジアの大学の設立は植民地遺制に制約されながら、アメリカ大学モデルに強い影響を受けていることが明らかにされた。
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