昨年度の研究では、アメリカ合衆国における個性概念には個人差と自発性という2つの意味があり、それぞれに対応した個別化・個性化があったことを示した。これを踏まえ、本年度は、ドルトン・プランによる教育実践と、その創始者であったへレン・パーカーストの教育思想を具体的に分析し、次の2点を明らかにした。 第一に、パーカーストの構想したドルトン・プランでは、学校の社会化が目的であり、個別化・個性化はそのための手段であった。学校を社会化するためには、子どもの自発性を尊重するとともに、子どもの共働を促進して学校をひとつの共同社会にしなければなかった。パーカーストは児童研究およびモンテッソーリから子どもの自発性を確信し、それをドルトン・プランの自由の原理に具体化した点では、個性化の実践であったといえる。しかし、1919年頃にパーカーストはモンテッソーリから独立し、デューイの影響を受けるようになってからは、学校を社会化することをいっそう重視し、そのために共働の原理を強調し始めた。さらに、2つの原理を関連づけるものとして、1924年頃に自己計画の原理を明確にした。以上の3原理は、最終的には学校の社会化を目指したとみることができる。 第二に、実際に普及したドルトン・プランは、イギリスとアメリカにおいて大きな違いがあった。アメリカでは、個人差に対処するための方法(個別化)として普及し、イギリスでは、子どもの自発性を尊重するための方法(個性化)と見なされていた。また、いずれにおいても、一定のカリキュラムを生徒に学習させるための方法として利用された。
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