本年は3年計画の研究の最終年度であった。1年目に、サンフランシスコ州立師範学校での個別教育の実践とその指導者であったバークの教育思想を分析し、2年目に、その実践を継承し発展させたヘレン・パーカーストの教育思想および彼女の開発したドルトン・プランの実践、および、アメリカおよびイギリスにおけるドルトン・プランの普及と変質を明らかにした。本年は、これらの成果を踏まえて、個性概念が新教育運動のなかでどのように変化していったかを検討し、全体のまとめとした。 新教育運動の始まりを19世紀の末とすると、その時期の個性概念には個人差と自発性という二つの意味があった。個人差としての個性概念が強調されるようになったのは、多くの学校で学年制・進級制が採用され、一斉教授法が普及してからであった。これらの方法の普及は、同時に、その方法に適応できない児童を生み出し、かれらは学校経営上の障害として問題視され始めていた。そこで、学校経営の能率化を求める教育改革のなかで、児童の能力の個人差が個性として重視されたのである。そして個人差としての個性に対処するための方法を開発することが、新教育運動の主要な課題のひとつとなったのである。 自発性としての個性の概念は、児童研究を理論的な根拠としていた。児童研究を個別教育に応用した代表的な教育者フレデリック・バークによると、個人の発達は内在する力の現れであった。したがって、児童に内在する力の発揮、すなわち自発的な活動をさせることが発達を保障する条件と考えた。児童研究自体は、1910年代になると衰退したが、自発性を重視する思想は、バークからパーカースト、ウォシュバーンへと受け継がれ、ドルトン・プランやウィネトカ・プランなどの新教育運動の個別教育法を生み出した。 個人差としての個性概念にもとづく教育実践は、教育の形態の個別化を強調し、自発性としての個性概念に基づく教育実践は、児童の自発的な活動を重視した。新教育運動における教育方法の開発は、この二つの考え方を統合する方法の追求であった。
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