新教育運動の始まりを19世紀の末とすると、その時期の個性概念には個人差と自発性という二つの意味があった。個人差としての個性概念が強調されるようになったのは、多くの学校で学年制・進級制が採用され、一斉教授法が普及してからであった。これらの方法の普及は、同時に、その方法に適応できない児童を生み出し、かれらは学校経営上の障害として問題視され始めた。そこで、学校経営の能率化を求める教育改革のなかで、児童の能力の個人差が個性として重視された。そして個人差としての個性に対処するための方法、すなわち教育の個別化が新教育運動の主要な課題のひとつとなったのである。 自発性としての個性の概念は、児童研究を主要な理論的根拠としていた。児童研究を個別教育に応用した代表的な教育者はサンフランシスコ州立師範学校の学長フレデリック・バークであった。彼は児童の内在的な力を信じ、それを自発的に発揮させることが、児童の発達もための条件と考えた。児童研究自体は、1910年代になると衰退したが、自発性を重視する思想は、バークからパーカースト、ウォシュバーンへと受け継がれ、ドルトン・プランやウィネトカ・プランなどの新教育運動の個別教育法を生み出した。 個人差としての個性概念にもとづく教育実践は、教育の形態の個別化を強調し、自発性としての個性概念に基づく教育実践は、児童の自発的な活動を重視した。新教育運動における教育方法の開発は、この二つの考え方を統合する方法の追求であった。
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