1879(明治12)年、いわゆる琉球処分によって沖縄県を設置した日本政府は、沖縄において徹底した同化(沖縄の日本化)教育を実施し、やがてその同化教育の経験を「外地」(日清戦争後の台湾、併合後の朝鮮)に及ぼしたといわれている。 本年度の研究活動は、この「通説」を実証するための資料収集に集約された。すなわち、沖縄師範学校を中心とする沖縄県教育史と、沖縄出身者の旧韓国〜植民地朝鮮における教育活動とに関する史資料の収集である。しかし、結果的にその成果は貧弱なものにとどまった。沖縄戦の被害はあまりにも大きく、あらゆる手を尽くして検索してみたが、戦前の沖縄師範学校に関する原資料はほとんど残存していないことが判明した。僅かに入手しえたのは、「比嘉春潮文庫」に含まれていた「沖縄県師範学校同窓会会報」数冊である。幸いこれには歴代同窓会員の名簿が収録されており、平成11年度は、これを手懸りとして上記「通説」にアプローチして行きたい。 とはいえ、資料の制約上、沖縄のみを事例とするにはあまりにも心許ないので、新たに鹿児島県を研究対象に加えることにする。というのは、沖縄県成立後も、沖縄の政界・教育界等を事実上牛耳ったのは鹿児島県人だったからである。鹿児島県人の沖縄における教育活動とその経験の外地への転移という要素を加味することによって、植民地の日本人教員人事に関する新しい視野が開けるかも知れない。
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