表記研究の初年度である今年度は、帝制期ロシアのエリート教育システムの変動過程について、特に19世紀後半に重点をおいて検討した。その結果、下記の三点にわたる成果を得た。 (1) 19世紀前半に「身分制原理」に基づいて整備されたエリート教育システムが、1860年代初頭のいわゆる大改革期に身分的編成からの脱却をはかりつつあったこと、しかし他方でそれ以前から文官・武官養成にあたった特権的教育機関は貴族身分のためのそれとして引き続きその威信を維持し、身分制原理からの脱却は限定的であったこと、19世紀末以降の急速な工業化や農業改革の進展にともない実業系の各種高等専門学校の整備が進み、エリート養成メカニズムのより一層の多元化や専門職化が進展したこと、などが明らかになった。この点については、「19世紀ロシアのエリートの学校」において概説した。 (2) 西欧において近代的エリートの条件とされた古典教養が、ヨーロッパの知的伝統を必ずしも共有しないロシアにおいていかなる意味を有したか検討し、それが、身分制原理から知識に基づく階層原理への転換のための道具として上から強力に導入されたことを明らかにした。この点については、 「帝制期ロシアにおける古典語教育の運命」において詳述した。 (3) 帝制期ロシアにおける西欧型学問と大学システムの移入において中継点としての役割を果たしたロシア帝国沿バルト諸県のドイツ系住民の大学デルプト大学(ユリエフ大学、現在のエストニア共和国タルト大学)の歴史について概観、紹介を試みた。これについては、 「ロシアのなかのドイツの大学」において論じた。 以上の内、「19世紀ロシアのエリートの学校」及び「帝制期ロシアにおける古典語教育の運命」は別記著書、橋本伸也他『近代ヨーロッパの探求4 エリート教育』に掲載予定である。
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