1952年革命前のエジプトにおける教育の拡大と制度の展開、そしてそれらの及ぼした社会的影響に関して、外国人学校、中高等教育拡大、近代的民衆教育制度の確立過程に焦点を当て研究を行った。 まず、革命前の近代教育で大きな比重を占めていた欧米宣教団教育の展開を、米国長老派宣教団における活動の具体的事例を中心として研究し、こうした宣教団を主とした外国人教育がエジプトにおけるイスラーム教徒・コプト教徒関係や民族主義運動に与えた影響を論文として公表するとともに学会で発表した。 次いで、これまでの先行研究では詳細な統計的分析がなされてこなかった1930年代をピークとする中高等教育の急激な拡大とその社会的、政治的影響について、『学生統計』や『国勢調査』などの資料を使用して、中等教育証明書取得者数とその進路に焦点を当て、その後の政治的変動期を準備することになった相応しい職のない「知識人」の急増による社会的構成大きな変容を具体的に明らかにした。 次いで、識字率の変化という、社会の基本的性格を考察する際の重要な要素のひとつでありながら、これまで先行研究が正面からはほとんどとりあげていない問題に着手した。伝統的なイスラーム教育制度であるクッターブではコーラン暗記を中心としたものであった。それゆえ3R教育を中心とした西洋式の民衆初等教育制度がどのように整備、拡大していったかを、当時の省内報告書や計画書、規定等の第一次資料を現地教育省博物館内文書室で閲覧、必要部分の筆写によって収集することによって、詳細な研究を行い、論文として発表した。
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