本研究は、ジョン・デューイにおける教育学構想と実験学校(Laboratory School)での教育実践との関連性、そのありようを、世紀転換期のシカゴにおけるアルビオン・W・スモールの社会学研究・教育およびジェーン・アダムズのセツルメント論・事業との対比において解明しようとするものである。 本報告書第1章においては、J.R.Shook編『プラグマティズム・シカゴ学派選集』(全4巻、2000年)、およびJ.R.Shook編『機能主義心理学シカゴ学派選集』(第3集、2001年)を、本研究の課題にてらして検討し、問題点を指摘した(例、教育学構想の位置づけの不明確さ、アダムズおよびスモールの思想的影響の未検討、など)。第2章では、デューイ教育学構想の実践的契機としてアダムズのセツルメント事業をとりあげ、彼女による事業従事の思想的基盤として、トルストイの無抵抗主義の受容があることを示した。第3章では、デューイ教育学構想の学問的契機として、スモールの社会学研究・教育をとりあげ、スモールがシカゴ大学創設(1892年)当初から、シカゴを「社会的実験室」とみなして調査対象と位置づけ、「a "laboratory guide"」としての『社会研究入門』(1894年、ビンセントとの共著)によって都市調整を奨励したことを示した。最後に第4章では、シカゴ大学時代のデューイがスモールの社会学研究・教育(「a "laboratory guide"」による)を教育学に翻訳して教育学の「実験室」を構想したことを示した。この「実験室学校」の課題は、子どもの能動的「参加」による「文明の精神的諸価値」の「維持」にあるが、同質のことを、アダムズは貧民地区の居住民にセツルメント事業を通して行っていた。
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