今年度は日本語教育を取り巻くブラジル国内の教育状況の歴史的社会的把握と、日本語教育資料、日本国内の移民関係資料の収集を引き続き行うことを目標とした。 国内では歴史的背景理解のため、主な移民送出地であった沖縄を訪れた。また、ブラジルに短期の現地調査を行い、日系人社会と日本語教育の現況についての聞き取りを行い、高校生までの日系人子女の教育状況と日本語教育との接触に関しても、聞き取り調査を行った。同時にブラジルの現代の教育制度と日系人子女をめぐる一次資料を入手できた。 短期調査では、日本語学校は各地において過渡期にあることを確認できた。サンパウロ市郊外のモジ・ダス・クルゼス市日本語モデル校、同コクエーラ植民地の両地においては、日系人団体の集会に出席し、戦前の日本語教師経験者から聞き取りを行った。プレジデンテ・プルデンテ市では戦前の日本語学校の面影を残す唯一の現存建物を訪問し、日本語教育関係者から聞き取り調査ができた。サンパウロ市では移民資料館にて資料を収集した。パラナ州ロンドリーナにおいては、高校生までの日系人子女にインタビューし、ブラジル教育制度の中での進学意識と日本語や日本文化に対する意識について聞き取りをした。 これらから、現代の日系三世以降では日本語離れが進んでいるが、家族とともに日本滞在を体験した場合には、本人の年齢や滞在期間にもよるが、日本語を身につけ日本文化を内面化した世代も育っていることがわかってきた。彼らは日系人団体と関係が薄く、日本語学校とも関係を持たないことが多い。日本語学校は日本文化を伝える「唯一の」機関ではなくなってきたが、その存在意義と役割については大いに研究の余地がある。今後の方向性を探るヒントとして、従来の日本語学校の役割が変化せざるを得ない状況を日系三世以降の人々の意識からとらえることができたことは意義があった。
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