1907年、創立25周年をむかえた女性大学卒業生協会(Association of Collegiate Alumnae)が取り組まねばならない問題は錯綜していたが、大きく二つの課題があった。 その第一は、20世紀初頭の数十年間は女性高等教育の急速な量的拡大は質的な変容を伴っていたのであり、「第二世代」の大学女性たちは、「先輩たちと知的・政治的目標を共有しつつも、徐々に、その職業志向を、社会奉仕や社会改革から個人的達成へとシフトさせていった」(Lynn D.Gordon)。実際、このようなシフトに対応すべく、協会は女性への教育的、文化的な機会の拡大という基本政策に加えて、大卒女性への経済的機会の拡大への模索を加えている。さらに、大学卒の女性にとって、現実に、どのような職業が拓かれているのか、女性のアクセスを妨げているものは何かなどの問題を精査し対策を立案する必要に迫られていた。 第二に、協会にとって、その加盟校が男性の大学あるいは共学大学に比肩する学問的威信を備えたものであることをどのようにして証明するか、という問題もまた、創立以来の懸案事項であったが、女性大学卒業生協会は、加盟のための条件として当時のバブコック・レポートの「クラスI」に入っているカレッジを有資格校として審査の対象にすることを決定する。男性大学と肩を並べて「クラスI」と認定されることの意味、すなわち、"真正な"大学教育としての女性高等教育の認知という課題を考えれば、この方針は理解できる。しかし、これは結果として、女性の高等教育に過大な桎梏を課すことになっただけでなく、上述の第一課題の遂行にも逆行することになった。
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