研究概要 |
今年度は3年計画の初年度であり、新潟県佐渡全般の戦没者慰霊に関するジェネラル・サーベイを行なった。佐渡の場合、日清・日露戦争の戦没者を祀った明治紀念堂から発展した、佐渡護国神社が昭和27年に設立され、新潟県護国神社と重複する形で存在する。明治紀念堂は金井町の得勝寺の僧侶によって建立されたものであるが、戦没者慰霊に関わる同様な仏教的施設は、両津市安照寺の偲巽堂(昭和63年以降は、両津市平和祈念戦没者慰霊塔の方で戦没者祭祀が行われる)ほか、各旧村レベルの寺院で合同慰霊祭が行われている実態が明らかになった,このほか、集落単位で戦没者の合同供養を、念位堂などで行なっている例も多く、その祭祀のあり方は、それまで行われていた義民供養など、異常死をめぐる伝統的な民俗慣行との共通性かうかがわれ、次年度以降、調査を民俗学的に深めていくべき、課題として浮かび上がってきた。また一般に、招魂碑・忠魂碑等の神道的施設は、戦前の遺物と捉えられがちであるが、佐渡島内に現存する、その実態は、平和の礎といったものを含めると、43例中、22例が戦後建立されたものであり、現在進行形の習俗であるといった認識の必要性を痛感させられた。なかには佐和田町二宮の菖魂社や、両津市椎泊の忠魂社のように、戦後神社として建立されたものもあり、従来の研究のイデオロギー的偏りが、実態を見誤らせてきたのではないかと、改めて、本研究の課題を再認識した次第である。
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