昨年度の岡山・広島・愛媛・大分に続き、本年度は山陰地方から北九州・福岡、対馬、そして尾道、福山方面への現地調査を実施した。その結果、山陰地方、特に島根県方面に数多くの「客船帳」を始めとした海運史料の多くが残されていること、またそれは近世期から近代へと連続する内容のものであることがわかった。この点は、東北地方太平洋岸から房総半島を超えて、伊豆半島から東海地方にかけての地域には「客船帳」の類が全く残されていないのと好対照をなしている。今回、「客船帳」のいくつかを電子複写によって収集することができた。また、対馬海運に関しては日本海から北九州、瀬戸内海方面への展開を期待して調査を行なったが、この予測は成り立たなかった。鎖国制下の対馬藩には、藩領の海運業者が国内の運輸面に直接参入することに何らかの制約が加えられていたと推測された。尾道、福山方面への調査では、ここが日本海海運から大坂市場への中継地の役割を果たしていたことが理解できた。対岸の四国地方は麦作地帯の米不足地帯であり、それは豊前・豊後方面にも言えるところであった。尾道が、豊後中津藩の飛地であったことも、当地を米穀取り引きの基地とさせる一要因となったと考えられる。 今回入手した「客船帳」の中から出雲大社町の鷺浦に伝えられたものを選び、データベースを作成した。この「客船帳」は、近世中頃から明治・大正期まで記載内容が継続しており、移行期の海運を検討するのに有効な材料である。和船から西洋型の帆船、蒸気船への移行状況を観測できる。また、昨年度、作成した三菱経済研究所附属史料館所蔵の「船員履歴書」のデータベースと比較検討することも可能になった。これによって、海運従事者の近世から近代への連続面をある程度、解明することができる。この成果の一端を研究成果報告書にまとめたい。
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