本研究は、これまでほとんど近世史研究では扱われてこなかった近世における巨大寺院比叡山延暦寺の門前町坂本の社会構造と寺社による在地支配の実態を研究するために、領主文書である延暦寺側の史料を叡山文庫で閲覧する一方で、上坂本と下坂本の町役人(「年寄」)を務めた公人の家に残る史料を調査・収集し、史料分析を行った。対象とした家は下坂本の永田一馬家、上坂本の川瀬俊一家、松嶋昌一家、岡本永治家であるが、それぞれ厖大な史料を伝存しているものの、大津市が1976〜77年頃に市史編さんのために抜き取り的に調査を行っていたに留まっていた。そのため、ほとんど未整理の状態から、現状をビデオ撮影で記録しながら袋詰めを行い、史料一点ごとの仮目録を取り、その上でマイクロ撮影を行うという作業を行った。その結果、永田家と松嶋家の仮目録については、解題を付して研究成果報告書の一部としてまとめるに至った。こうして収集した史料に基づいて以下の論点について、検討を行った。 1.門前町坂本の構造について、町並みや寺社の配置などの空間把的握と、町の支配組織・共同組織に関する分析をおこなった。 2.延暦寺の僧侶でありながら、上坂本に住み俗人と同じ生活を営む「公人」の性格を考えるために、上坂本の俗人の百姓との町役負担をめぐる争論や、山王祭礼の警固役(鉄棒引き)をめぐる争論と町年寄の座順をめぐる争論などを検討した。 3.慶応4年3月28日の神仏判然令を契機として生じる、延暦寺に残るか日吉神社の社人となるかという公人の去就について考察した。
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