本研究は、1997年刊行した、拙書『考える女たち』をふまえ、近世前期のジェンダーをより一層明らかにすると共に、その後の中期にかけての展望をみるものであった。 『考える女たち』では、享保元年(1716)刊行の女子用往来『女大学宝箱』に含まれる、儒教精神に則ったといわれる「女大学」から、これまでの近世女性史が始められていることを批判した。つまり、近世が成立してから、ほぼ三分の一の部分が明らかにされないまま、近世全体の女性は儒教道徳で縛られていた、と通説化されていたのである。 本研究では、"儒教精神に則った"とされるものが、享保期に日本の社会の変化(基本的には庶民の「家」の成立が開始したこと)に基づくものであることを明らかにした。もちろん、儒教の影響がなかったという訳ではない。近世初期、直輸入されてきた当時中国の儒教書の解読、実践から始まったものが、既に近世の中期を迎えて日本社会の変化を受けたのだが、その点はかなり重要である。 他に、近世女性教育における二つの傾向、一つは日本型儒教体系であり、もう一つは、伝統的な「やさしさ」の文化体系(筆者の造語)、これらが庶民層ではほぼ矛盾なく行なわれていたことを指摘した。 さらに、社会の変化を男女のジェンダーに焦点を当てて、日常生活を実例にとって研究している。 最後に展望も込めて、近世の「家」が確立してくる近世後半期について、男女のジェンダーを「家」存続問題にからんで研究した。
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